清少納言(天塚)
清少納言の父 清原元輔が里浦の領主をしていた時代があります。清少納言は正暦4年(993)28歳のとき、一条天皇の中宮定子(当時17歳)に仕えました。長保2年(1,000)、清少納言35歳の時に皇后定子(当時24歳)が死亡。定子の死後、流浪の旅に出た清少納言が里浦に流れ着いたという伝承があります。
清少納言は古くから女性を守護してくれるものとして信仰されています。
特に『婦人病』を治してくれ『安産祈願』や『学問向上』などのご利益があると言われています。
百人一首に「夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも よに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ」という清少納言の歌が残されています。
清少納言の墓碑がある『天塚堂』と、毎月10日の講義を行う『清少庵』は、観音寺から北へ約750mのところにあります。
観音寺へご来寺いただきましたら、ご案内いたします。
観音寺(TEL.088-686-3953)
清少庵と天塚堂
『天塚堂』の中には、縁あって里浦で晩年を過ごした清少納言の墓碑があります。墓碑の形は宝篋印塔であり、墓石にはありがたい「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼(いっせいじょらいしんひびつせんしんしゃりほうきょういんたらんじ)」が刻まれています。
たぬき山大権現
むかし、里浦には約1000坪の広大な松林があった。そこは神聖な所で木を切ってはいけない場所であった。近所の人は、親しみを込めてその森を狸山と呼んでいた。森は狸の住みかであり、たぬき合戦が行われたり、周辺で馬の首が火を吹きながら飛んでいたりしたとの伝説が残っている。そののち、戦後の食糧難のため狸山は開墾され、伝説を知る人も少なくなっている。たぬきの供養と伝説の継承を願って、たぬき山大権現の石像を2019年10月に建立した。たぬき山大権現の御朱印がございます(納経料300円)。
天塚の「のぼり藤」
『天塚堂』の前に、白い花が上向きに咲く天塚の「のぼり藤」の藤棚があります。毎年4月下旬に、甘い芳香をただよわせ美しく咲きます。
江戸時代には、天塚の北山一帯にたくさん白い藤が咲き誇り、徳島城から見ると天塚一面が白く見えたそうです。また天塚堂のまわりには松の木がたくさんありました。あまりの美しさに殿様が毎年花見に訪れ、次のような話が伝えられています。
「天塚の前に藤棚があって幹の太い藤の木がある。この藤は里浦の北山から移植したそうだ。昔北山に大きな藤があってじゃまになってしかたがない。しかしこの藤を伐るとたたりがあるというので誰も手をつけることができないでいた。北山の庄屋は米二俵を与えるから伐ってくれといったが、誰一人として応じるものはなかった。ところがその米の俵に目がくらんで八兵衛というものの後家がその木を伐ってしまった。何日かたってその家の戸があかぬ。村人が無理にこじあけて中に入ってみると八兵衛の後家は、白蛇に巻き付かれて死んでいたという。」
※日本の伝説16「阿波の伝説」武田明・守川慎一郎著(株)角川書店昭和52年初版発行
現在も藤棚があり、4月下旬にのぼり藤を美しく咲かせています。
清少納言ご縁日
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『清少庵』では、毎月10日、真言宗や清少納言についての講義を行っています。
『婦人病』『安産祈願』『学問向上』の祈願も承っています。受講 受講日/毎月10日 午前10時より60分程度
受講料/初回のみ 1,000円(コピー代)
定員 /15名程度場所 鳴門里浦 観音寺 清少庵
徳島県鳴門市里浦町里浦字坂田479
→ アクセスマップはこちら申込 受講ご希望の方は、お電話でお申込みください。
観音寺(TEL.088-686-3953)
絵馬奉納
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観音寺では、清少納言の絵馬とお守りにて『婦人病』『安産』『学問向上』の祈願を承っています。
奉納料 お守り/300円 絵馬/500円
絵馬の裏側に下記内容を書いて奉納してください。
【記入内容】
一、願い事 一、住所 一、年齢 一、名前場所 鳴門里浦 観音寺
徳島県鳴門市里浦町里浦字坂田127
→ アクセスマップはこちら